韓国に住んでいて韓国語がある程度わかってくると、日本にはない言葉、言葉の使い方が、目や耳に飛び込んできます。
職員も誰かの大切な家族です
この言葉は、役所やカスタマーサポートなど、電話や対面で人と接する場で、 耳にしたり目にしたり します。この後に「暴言は控えてください」と続きます。
日本人が、もしこういわれたら、どうでしょうか? 逆に家族だから遠慮なく暴言をはいてもいいと考えるのではないでしょうか?韓国人が、自分の家族には暴言をはかず、いかに家族を大切にしているか感じられる言葉といえるでしょう。
食口 ~一つの家に一緒に住んで食事をする人
↑最近(2024年8月~)韓国のテレビで流れているコマーシャルです。
~内容~
「食口 -一つの家に一緒に住んで食事をする人 」のテロップ
韓国料理を作っているシーン (トッポギ バージョン)
親と子供の会話のテロップ
「一食ぐらいは一緒にする間柄が食口です」というテロップとナレーション
「食口」(食べる口)という言葉は日本語には存在せず、日本語に訳する場合は「家族」になります。血のつながりに関係なく、一つの家に一緒に住んで食事をする人が家族だという意味です。韓国の他人も家族という考え方の根底にあるものです。 ー他人も家族(韓国)/ 家族も他人(日本)ー
最後のテロップ「一食ぐらいは一緒にする間柄が食口です」は”食口”を”家族”におきかえてみると「 一食ぐらいは一緒にする間柄が家族です」になります。反対からみると「一緒に食べないなら家族ではない」です。
そのくらい一緒に食べることが、家族の関係を作ることで、重要だということがうかがえます。
父の恩は山より高し 母の徳は海より深し (日本)
日本の家族感を表す言葉はないかと探してみたところ、この言葉をみつけました。江戸時代の寺子屋の教訓の教科書にのっている言葉です。意味は文字通りですが、私は「父の恩」「母の徳」という言葉ひひっかかりました。「徳」とか「恩」は他人に感じるもので、父、母への距離感を感じたのです。
韓国の他人も家族の家族関係に慣れてきた私にとっては、父も母ももっと身近な存在で、「父の愛」「母の愛」におきかえたほうがしっくりする気がします。
家族感はどの国でも同じ?
「家族」とは、父、母、子供がいるのはどの国でも同じだから、「家族感」も同じだと考えている人が多くないでしょうか?実は国の文化・習慣によって、かなり違います。韓国と日本だけでもこれだけ違いがあるのです。
私も、韓国に住み始めた当初は、韓国も日本と同じ「家族感」だと思っていたため、韓国人のいろいろな言動に理解に苦しむことがありました。
でも、こうして韓国の日本とは違う「 家族感」がみえてくると、韓国人の言動に対して理解ができ、家族扱いをしてくれる時が多いため、愛しくさえなってきました。自分のもっていた価値観とは違う価値観を知り、新しい世界が見えてきて、楽しくなってきたのです。今も、ここ、韓国で新しい世界を探索中です。
(2024年9月4日 韓大納言記)
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コメント
キリスト教では「食事の場には神が下りてくる」という考え方があって、食事の場を重視し、アメリカの女子校などでもテーブルトークの授業がある所もある、と聞いたことがあります。
「食口」という言葉が生まれた、韓国の食事を大切にする伝統は、どうして生じたのでしょうか?
また、日本では「残さずに食べる」ことを良しとする美徳がありますが、これには戦時中の食べ物が無かった時代の経験も背景にあるかと思います。
韓国では「食べきれないで残す」ことが、十分にもてなすことができたとして、良しとされると聞いたことがありますが、韓国も貧しい期間が長かったのではないかと思われるのに、この与える文化は相当昔から育まれてきたものなのでしょうか?